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占領期の昭和24年(1949)に創業し、当時からの製法でスカジャンを作り続ける桐生で唯一の「ジャンバー屋」。当研究所では、その工場の灯が消えてしまう前に、どうしてもそのスカジャン生産の技術を継承したい。そこで、多くの方々が興味を持ってもらえたらと考え、織物・リブ・横振り刺繍・縫製を中心に、桐生で生産する工場の様子やインタビューなどを紹介します。

また、当時から続く基本の型紙(4サイズ)を公開します。

縫製や刺繍ができる方はご自身で製作してみても面白いかもしれません。ごく普通のおっちゃん、おばちゃんたちが生み出した日本で最初の和製洋服「スカジャン」がどのように作られるのか、工場見学を楽しむようにご覧ください。

大正時代、桐生に横振りミシンがもたらされ、手刺繍からミシン刺繍への変化が起こる。ちょうどその頃、日本の機どころである桐生の織物産業は、最も隆盛を極めた。縫製業やメリヤス業は戦後に勃興した新しい産業であった。これまでテーラーで仕立てていた洋服は、大量生産時代に入り、新たな仕事を生んだ。ここでは、スカジャンの生産工程を紹介する。昭和初期創業の織物メーカー、戦後すぐ同時期に創業し、当時から取引を続ける縫製工場とリブ工場、15歳から一家の稼ぎ頭として横振り刺繍を生業としてきた職人のアトリエ。当時を知る人々の歴史や技術を受け継ぎ、世界で唯一、ここ桐生でしか作れないスカジャンが完成する。

工程

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​形紙公開

戦後すぐにGHQからの発注で活況を呈した桐生の縫製業界は、1949年(昭和24年)からの統制撤廃が進むにつれ、翌年には数件の縫製業者のみになる。今も残る1軒のジャンパー屋は、この年に創業している。まもなく朝鮮戦争景気が訪れ、1951年(昭和26年)には、桐生市内において26軒のジャンパー屋があったという。当時、スカジャンの型紙は、各社が独自に、あるいは真似をしながら古い新聞紙などで製作し、洋裁のたしなみのある女性達は、内職として活躍した。今回、桐生ジャンパー研究所の監修のもと、当時の型紙(4サイズ)を無償で公開することとした。将来的にはアカデミー部門を設立し、型紙から刺繍・縫製に至るまでの詳細な技術の伝承に努めたい。

支度中

縫製手順

支度中

ジャンパー研究所  1.png
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